iamobasanのブログ

おばさん介護福祉士の奮闘日記



介護の現場を離れる

試験に合格したのはよかったのですが、合格しただけでは、資格はもらえないのです。
なが~い研修が待っているのです。
12月から始まり5月まで月に多い時で4日研修を受けるのです。
研修のごっとにレポートの提出、模擬ケアプランの作成をしていくのですが
公休を利用して研修に参加している私は、仕事とでへとへとになりながら、パソコンに向かいこなしていきました。 その頃仕事場では、大変な出来事ばかりが起きていて、普段の倍以上の忙しさと、主任までが病気で入院し、これまでの仕事の流れがすっかり変わってしまっていたのです。結構どんな事もこなしてきた私でしたが、更年期もあったのでしょう限界を感じ始めたのです。「できません」と言うことがきらいだった私「辛い」と言えない私でしたが、とうとうその日がきたのです。仕事終わりに「ちょっと来て」とナースに呼ばれ詰所に行くと、「認知症の利用者さんが、あなたにひどい事を言われたっていっているのよ。」と身に覚えのないことを言ってきたのです。「事務長がね、ペナルティーとして夜勤の回数へらすようにって言ってるの夜勤の希望出さないでね」と言われたたのです。
今まで、どんな困難な利用者さんでも一晩中付き合って、最後には、「ねーちゃん」と打ち解けてくれていたのですが、利用者さんにひどい事は言われても、ひどい事は言ってなかったのに、寝耳に水とはこういう事なのかとふと思いました。
もう、精魂尽き果てて次の日、身体がいうことをきかなくなっていました。
この仕事をして初めてです。「今日休みます」と新しい主任さん連絡し休んでしまいました。夜勤をしなくていいと言われた事より、利用者さんがそんなふうに思っていたなんて
正直ショックだったのです。改めて主任さんに連絡して、「有給と今までとれなかった公休何日残ってますか?」と聞いてみた。主任さんから連絡で「27日残ってるよ」と教えてもらい、辞表を書いた。更年期もあってしんどかったのか、全く悩まなかったのです。
「もう、私ができる事はない」最後の日に利用者さんには告げずそっと職場を離れました。
心の中では、「みなさん、いつまでもお元気で」と思い、出口で一礼し帰ってきました。
分かってもらえない悔しさより、次のステージにあっさり移行できた事の方がほっとしたのか、心は晴れやかでした。
あと何年働けるかはわからないけど、私を使ってくれる所はあるのか不安だったけど「もういっちょ頑張るか」そう思い福祉専門の職業相談をしてくれる社会福祉協議会へ行くのです。




次回居宅介護支援事務所に就職してから、現在の事を書きます。



最期まで読んでいただき、ありがとうがざいます。感謝してます。